第3話

 そのテキストがレストレードの元へと送られてきたのは、日付が変わる直前だった。ヤードの玄関に向かって一人暮らしの寂しいフラットへ帰ろうとしている途中、コートのポケットに入れていたモバイルが振動する。
 振動の長さから電話ではなくテキストであることはわかったが、問題は誰がそれを送ってきたかということだった。考えるまでもないことだ、自身の帰る時間帯に、タイミングよく連絡を入れてくる人なんて2人もいてたまるものか。実際には2人いるようなものだが、一方は今頃フラットメイトと揉めているところだろう。早く食べろ、早く飲め、早く寝ろ。そんなところだろうか。
 立ち止まり、テキストの内容を確認する。何度も見たその文面に、ため息しか出なかった。3日前から送られてくるそのテキストは、一語一句変わることなく送られ続けている。一応、送り主もレストレードの仕事を邪魔するつもりはないらしく、いつも彼の帰宅時間に合わせて送られてくる。根は優しい男なのかもしれない。拉致紛いのお誘いは勘弁してもらいたいが。

〈車を下に待たせてある。乗るように。MH〉

 この3日間、あの手この手で逃げ続けたが、さすがにそろそろ怪しまれるころだ。いや、すでに怪しまれているからこその呼び出しなわけだが、それでもこれ以上はまずいだろう。
 そもそも、一介の警部がマイクロフトの包囲網から抜け出している時点で警戒されていることは言うまでもない。そして極めつけは監視カメラでの一件だ。マイクロフトのレストレードに対する警戒心は最高潮に高まっていると見ていい。そうさせたのは、自身にほかならないのだが。
 レストレードは、ほとんど無意識のうちに舌なめずりをした。どくどくと、心臓と呼ばれる臓器が脈を打つ。それはもう痛いほどに。望んでいた事態が起こったことを改めて理解をする。
 3日逃げたのだ、レストレードは。マイクロフトがそこで諦めるならそこまでだった、今回のゲームは終わりだ。
 だが、彼はそれでも追ってきた。――そうか、追ってくるか。追ってくるのなら、こちらも相応の対応をとろう。
 たとえそれが、“歩く英国政府”の望んだ結果をもたらさなかったとしても。

「……The game is on! ってな」

 3日ぶりにヤードの正面玄関から外へ出ると、音もなく黒塗りの高級車が現れた。どう運転したらそのような芸当ができるのか皆目見当もつかない、そもそもそうした運転技法を学ぶ場所がこのイギリスにあるのだろうか。自分には縁のない話だ。
 そんなことをつらつらと考えながら後部座席のドアを開ければ、中にはいつもの秘書がモバイルを見つめながら座っていた。こちらに気付いたアンシアがにこりと笑う。

「お久しぶりです、警部」

 レストレードは答えず、笑い返すだけにとどめた。この優秀な秘書にもマイクロフトは情報を与えているはずだ、ならば彼女もゲームの参加者。普段のレストレードのように言葉を返す必要はない。
 アンシアはそんなレストレードの態度に疑問を抱いた様子だったが、何も言わずにモバイルへと視線を戻した。かちかちとモバイルのキーボードを打っている。上司に報告しているのだろう。
 そう――それでいい。


第3話【終】